大西運転手の証言

9:現場における目撃者 1

捜査の結果得たる事実

昭和24年7月5日午前8時15分頃に大西政雄運転手は41年ビックを運転して下山総裁邸に行き、同20分に役所に行くべく発車していつもの通り洗足、五反田、八ツ山、増上寺前を経て東京駅前ロータリー附近に来た時に、総裁は突然役所に行く前日本橋三越に買物にゆくと言出した。それで白木屋でも宜しいとも言って居た。

しかしその時、時間が早いので白木屋も三越も開店して居らないので、省線神田駅方面を廻って総裁は本省に帰るものと大西運転手は思って東京駅北側ガード下を通って交通公社前に来た頃に今度は三菱本店に行ってくれと申され本省の様子を見ながら「もっと早く行け」と命ぜられ、自動車で速度を速めて三菱本店に行って鞄を車中に置去って手ブラで這入って25分位して手ブラで戻ってきた(出勤前に銀行に寄ったのは始めてである)。現に総裁は大西運転手に三越に行けと命じたので時間は午前9時35分頃に三越南口正面に着けたら、総裁は其の時も鞄を車内に置去りにして三越入口に向かって2、3歩引返してきて大西に「5分位だから待って居てくれ」と言残して三越の中に這入って行った。

その後大西運転手は総裁が三越から出てくるものと思って午後5時迄待って居た。その間午後5時のニュースでも聴こうと思って自動車内取付けのラジオをかけて其のニュースで総裁と大西が行方不明と報道されたので、大西は驚いて本省に連絡したので総裁が三越から行方不明になった事が判明したのである。大西の証言では総裁が三越に這入る時も客人が朝のことで10名内外で総裁の後を尾行したものはなかったと言っていた。

他殺資料

大西運転手の自供並に関係者の其裏付けにより本足取りは事実と認められ誘拐拉致尾行等の事実はない。

自殺資料

足取りは極めて非計画的であり瞬間的に心持が変わっている事を推定できる。国鉄行政整理発表の翌朝、かかる足取りは平素の出勤コースと比較して普通でないことが認められる。

備考

鈴木警部

資料解説

(#010901)