住居 港区芝三田小山町9
前内閣官房長官
現民自党政調会長 佐藤栄作
の言。
本年6月28日頃中闘の熱海会議があった直後、下山総裁が訪ねて来た。その際首切問題の話があり、7月7日頃やる予定だったが4日にやることになった。鈴木副委員長他左翼分子は整理基準にもとづき首を切る予定だが、そうすれば組合側が騒ぐだろう、汽車が止る事があっても差しつかえはない、と云ったので、日鋼事件のような事もあるから注意しなければならない、また身辺の警戒もどうかと云うと、下山は「関係方面に連絡員を出して警視庁にも出してあるから大丈夫です」と云っていた。
なお「交渉はねばるだけねばれ、早く打ち切っては負けだ」と云っておいた。
その後国鉄の第一次整理者を見ると整理に入るべきものが残っていたので、下山があれだけ堅い決意をしていたのにどうして出来なかったのかと、さぐってみると、整理の時若い課長連中が反対した為だ。しかしあつれき関係は幾分あるがそれがどうと云うことが無い。佐藤は伊能を次官に押して退官後郷里に帰って後、岡田大臣から呼出を受けて上京し、同大臣に会った折、「失脚した伊能次官の後任に加賀山を推薦したがうまく行かない」と話していたので「それは下山がよいでしょう」と云った。
その後下山と会った時「君を次官に推薦したからやってくれ」と云うと、下山は「自分は本省の局長もやっていないし次官は海運関係もやらねばならずその方は素人で判らないから」と遠慮していた。
佐藤は「大臣に話すからやってくれ」と云った。
下山が総裁就任前、佐藤の家に来て話すには、「自分が耳にした話では、今度の総裁は民間人を据える筈であったが駄目にない、俺の処に来たが、どんなものだろう。総裁は首切りが終わると同時にやめなければならないと云うのでは、考えなければならない」と云っていたので、佐藤は「そんなことはあるまい。就任した方がよいだろう」となだめてやり、総裁就任をすすめた。
コメントなし
総裁就任当時の状況は気が進まなかったことは窺われる。
8・31 小栗部長 新木部長
●文章の最初は佐藤さんの直接話法だが、後半は間接話法になっている。証言をまとめあげた小栗部長と新木部長はきっと忙しかったに違いない。(#020916)